猫とビー玉

猫に振り回される幸せとドタバタ日常。自作のヘタ漫画をまじえて綴ります。

猫に踏まれ、うっかり猫を踏む おむすび編69

 

寝る猫
おむすびを踏んだら、肉球ドリルの刑ですからね

人は理解し合える?


過去の自分を振り返ると、人がわかり合うことなんて不可能だよね、と思っていた。
その一方で、たった一人の人でもいいから自分を理解してほしい、なんていう願望もあった。

 
そしてその願望が叶った暁には、次にそれを失うという恐怖が待っているんだろうってことも想像できた。
臆病だった私は、だったら誰にも依存しないでやっていこう、と思っていた。

 
依存しなければ喪失感に打ちのめされることもない

 

若いころ、会社で向かいに座っていた男性に「誰にも依存したくない」と言ったら(仕事中に話すことではないですね)、「そんなの絶対無理だよ。オレなんか女房と子供に依存しっぱなしだよ」という言葉が返ってきた。
当時の私に、その返答はぴんとこなかった。

それから私は人並にいろんなものを失って、何回か挫折した。
そしてそのたび、周囲の人に助けられた。
自分の弱さと臆病さを認め、感謝の気持ちを持つようになったのはこの頃からだったと思う。


押さえつけようとしても心は動く

 

付き合い始めた人に「人が理解し合うなんてムリ」と話したら「でも理解しようとすることはできるよ」と言われたことがある。
彼の言葉は当時の私をハッとさせ、そのあと年月をかけてじわじわと広がった。
今でも、その言葉は私の中で生きている。

そして私はその人と結婚し、猫を飼った。
夫となった三太は2度深刻な病気をしたことがある。
私は、風呂の中でこっそり泣いた。
私の人生からこの人がいなくなってしまったら、と考えたら目の前が真っ暗になった。


その時甦ったのは、会社の男性の言葉だ。
今の私はすっかり家族に依存しているんだ、と思った。

依存という言葉の響きは悪いけど、人は何かしらに依存して生きている。
出家でもして、悟りでも開かない限り、心は依存できるものを欲し続けるのだ。

 

猫と依存

 

猫を飼っていて「この子を守らなくては」なんて思うことがよくあるけれど、実は私の方が猫に依存しているのだな、と気づくことがある。
猫がいなくなってしまったら、私の心にはぽっかり大きな穴があいて、何ヶ月も泣き暮らす。

だからそんな大切な猫に踏まれても、決して文句は言わない。
痛くてもぐっと耐える。

 

足を踏まれる

膝を踏まれる

腹を踏まれる

 

私が、うっかり踏んでしまうこともあるけどね。

猫の足を踏む

 

今すべきこと

 

うちは昔からABBAが好き。
今もよくアルバムを聴くし、マンマミーアの映画もミュージカルも観にいった。

先日紹介した山中伸弥さんのサイトで、動画がリンクされていた。
Dancing Queenは聴くたび涙が出るんだけど、これを頭の中で忙しく和訳しながら聴いても、やっぱり涙が出た。

 

www.youtube.com

 

おむすび編 70に続きます

 

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