むちむちボディ
タプタプ腹
ぱんぱん顔
猫は、同居する人間の安眠を躊躇なく妨害する。
そのお陰で、寝不足のぼーっとした頭で仕事にでかけた日は数えきれない。
猫への忖度
私は極力、寝ている猫の邪魔をしないようにしている。
寝ている時どころか、まったりと自分だけの時間を楽しんでいる時ですら邪魔しないように心がけている。
だって、嫌われたくない。
でも、丸っこくなって寝ている猫を見ていると、モフモフしたい衝動を抑えられない時がある。
いいじゃないの今日くらい、日頃努力してるんだから。
猫の方も、大抵私の衝動的な行動を広い心で受け流してくれる。
こんな時、私はキャラに似合わないことを言ってみたりする。
自分の記憶が正しければ、私は誰かに「私と仕事とどっちが大事なの?」とか「私とお母さんのどっちが大事なの?」などと聞いたことは一度もない。
せいぜいスナック菓子が止まらない家族に「今日のポテトチップスひと袋と、一生の健康とどっちが大事なの?」くらいは聞くけど。
おむすびは、私と三太に区別なく甘える。
どちらかに偏っていることがあまりない。
でも、寝る時は三太といることが多い。
私にしてみれば、おむすびと寝たらそれはそれで翌日疲労感が残ったりするので、それ自体が気に入らないわけではない。
でも時々言って、困った顔を見たくなる。
実際猫は、困っているのかどうかわからないが当惑顔をすることがある。
幸せくらべ
子供の頃は露骨に誰かと比べられることがよくあった。
母親にも「お姉ちゃんはこうなのに」「誰々ちゃんはこうなのに」と言われて、傷ついた記憶がある。
実際にずけずけ言われなくても、いつもどこかで比較されていたと思う。
だから自分も心のどこかで、自分を誰かと比べては「勝ってる」「負けてる」なんて一喜一憂していた。
今思うとそれで自分を苦しめてたような気がするけど、自分の存在を意味づけるために致し方ないことだったのかもしれない。
少し大人になって、自分と人の幸せくらべをしていた時期があった。
でも、比べるその誰かが本当に幸せなのか、実は不幸なのか、本人以外には何もわからない。
私はさもしい幸せくらべをすぐにやめた。
比べること自体が意味のないことだとわかったのだ。
幸せは人それぞれだ。
話は戻るけど、猫の当惑した顔がけっこう好きだ。
おむすび編115に続きます
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