旅行から帰って、さて旅の余韻にでも浸るかとカメラの画像を開いてみると「誰?!このオバサン」と愕然とすることがある。(そのオバサンはもちろん私)
画像をめくってもめくっても、これでもかこれでもか、とそのオバサンは出てくる。(紛れもなく、そのオバサンは私)
年々その驚愕度は増している。
私の場合
10代の頃は近眼のくせして眼鏡をかけず、コンタクトも入れてなかったので、鏡の中の自分はちょっとぼやけていた。
コンタクトレンズをつけるようになって鏡を見た時、「・・・・」と言葉を失った。
自分ではもっとイケてると、なぜか根拠なく思い込んでいたので、鏡に映ったクリアな自分の姿はちょっとショックだった。
今は必ず眼鏡などをして鏡を見ているが、さぁこれから鏡を見るわよと気合いを入れているようで、それほどがっかりはしない。
でも、うっかり気を抜いて鏡を覗きこむと、年相応に疲れた顔の自分にぎょっとする。
鏡を見る前に気合いを入れ忘れても、なぜかカメラの画像を見る時よりショックは少ない気がする。
どうしてだろう?
無意識に元気とか若さへの願望フィルターをかけているのか?
鏡にはフィルターをかけることができるけど、カメラの画像には願望の入りこむ余地もないってこと?
とにかくカメラは非情に現実を物語る。
おむすびの場合
親の欲目、なんて言葉があるが、飼い主の欲目というのもある。
うちの猫おむすびはいつもゴキゲンで甘えん坊、ツンとしている日があると「今日はどうしたんだろ?珍しいな」と思う。
性格は間違いなくカワイ子ちゃんだ。
でも外見はと言うと、夫の三太にブスちゃんなんて呼ばれているし、遊びに来る友人や業者の人たちなどに「すごくフレンドリー」と言われるものの、「かわいいね」と言われた記憶がない。(社交辞令というものを知らないのか?)
まぁ確かに美人じゃないし眠い時は仏頂面になっているが、ブスって言うほどじゃないよね、と思っていた。
可愛いから撮っておこうと、カメラに収めたおむすびの画像を見ると、なんだか納得できない。
こんなはずじゃない、もっとかわいいはずだ!と、何度撮りなおしてみてもやっぱり変わらない。
私のカメラの腕の問題?
確かに腕は悪いのだが・・・。
もしかしたら、カメラの腕がどうのこうのではなくて、肉眼でおむすびを見る時には「かわいいフィルター」がかかっている?
この都合のいいフィルター現象、自分だけに起きていると思っていたが、どうやらおむすびを見る時にも起きているのかもしれない。
人間の脳みそ、恐ろしや。
おむすび編36に続きます
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