猫とビー玉

猫に振り回される幸せとドタバタ日常。自作のヘタ漫画をまじえて綴ります。

おむすび編23. 背後の猫がライオンに豹変する誇大妄想

CookDoで青椒肉絲を作るのになんと2時間もかかり、さすがにがっくりしてしまったので、しばらく会社の帰りに外食して帰ることにした。
ファミレス、天丼、ラーメン、最初は楽ちんでうれしかったのだが、毎日続くといやになってくる。なぜだろう?

 

海外旅行中に日本食が食べたくなるのと同じ原理なのか? 

 

誰かが作ってくれる手作り料理を毎日食べられる生活に憧れてウン10年、私は料理上手とはほど遠い。
この長い人生の中で、自分の作った料理を「これはおいしい!!」と思えたのは数えるほどである(キッパリ)。
そして、それらの料理を「もう一度食べたい」と思い作ってみても、その感動の味を再現できたためしがない。

 

だけどこんな私でも、外食が続くと自分で作ったものが食べたいと思ってしまう。

海外旅行の後半で、無性に和食が食べたくなるのと似てるのかな、と思ったが、よく考えるとちょっと違う。
多分家庭料理だったらなんでもいいんだと思う。
食べ慣れた味、というよりも、安心できるものが食べたいんじゃないだろうか。

 

私は最近、こだわりや執着を捨てて、あるがままを淡々と受け入れて生きたい、と思うようになってきた。あと100年生きても無理だとは思うが。
こだわりや執着を持つと、それが思うようにならない時に苦しい。
そしてその苦しさの元を辿っていって初めて、そもそもなんでこんなものに?と思うような、しょうもない事に固執している自分のアホさ加減に気づく。
でも執着を捨てるのは言葉で言うほど簡単じゃない。だから自分を苦しめるくだらない執着をひとつひとつ忍耐強く、自分を納得させながら捨てていくしかない。

 
で、家庭の味に飢えるのも、一種のこだわりの結果のような気がする。(これが言いたかった)

だけど、夫の三太の血圧が少し高いのもやっぱり気になる。やっぱり減塩するためにも外食は続けられない。(と、なんだかんだ言って結局こだわる・・・)


こんな時、実家が近くにあれば「今日晩ご飯食べさせて」と電話一本で家庭の味にありつけるのかもしれないけれど、私の両親はすでに亡くなっていていない。

だから自分で作るしかない。

 

週末には三太がカウンターをふさぐ金網を設置してくれるし、ネットで買ったパーテーションも届く。
今日1日くらいなら、愛猫おむすびの猛烈アピールをかわしながら料理してもいいだろう。

 

猫は肉食

  

そんな甘い考えのもと、キッチンに立った。
予想通り、おむすびの「かまって」攻撃はハンパない。

 

鳴く猫

「かまって」コールは果てしなく続く

 

かまってコールに幾度となく応えていたらやっぱり疲れてきたので、仕方なく無視することにした。私に料理をさせておくれ。
すると、たくさん撫でてもらったあとだからだろうか?意外にすんなり諦めて、私の後ろにあるキャビネットに飛び乗り、ここでくつろぐことに決めたようだった。
だけどそこでくつろがれても困る。
いつ背後から調理台に飛び乗られるかと思うと、おちおち包丁も使えない。

 

とは言え、今日だけだもんねと気合を入れ直し、野菜を切り、肉を取り出した時点で私はハッとした。
ネコは肉食、生肉を食べるネコだっている。
まな板の上の肉から出る匂いに反応して、「肉くれっ」状態になったらどうしよう?と思い始めたらもう気が気ではない。

後ろにいるおむすびがライオンみたいに思えてきた。

 

肉を料理する

 

おそるおそる振り返ると、キャビネットの上で、のんびり毛づくろいしていた。
ガタガタと食器を出し入れしたり鍋をカンカンやったりして、超簡単手抜き料理が完成したころには、おむすびは寝ていた。


この騒音と、鬼気迫る私のオーラなんか、一切お構いなし。

なんだかこの子の方が、私なんかより肝の座り方が一枚も二枚も上手みたいだ。

 

冷蔵庫に乗る猫

冷蔵庫の上でもくつろぐ

 

 おむすび編24に続きます

 

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