少しでもくっついていたいおむすび
うちの猫たちは、みな甘えん坊だと思う。
先代の猫おむすびは、究極の甘えん坊に加えて、寂しがり屋でもあったように思う。
おむすび
平日の昼間は二人とも出勤しているので、おむすびはいつもひとりでお留守番だった。
私が帰宅すると、私から離れない。
たくさんおしゃべりして、甘えて遊んで、お待ちかねの夕ご飯。
ゴハンの後は私に撫でられながらウトウト。
でも私が離れると、パっと起きてついてくる。
だから人間の夕食の支度もままならなかった。
料理中ずっと鳴いてるのだ。
声が枯れてしまうんじゃないかと、心配になるくらい。
そのせいか、晩年は声がかすれてきて、おばあちゃんみたいな声になっていた。(関係ないのかもしれないけど)
あんまり鳴くので、料理を中断して構ってあげるとすりすりして、またウトウト。
私がキッチンに戻ると、また起きて鳴く。
これを延々と繰り返し、結局1時間くらいは平気で鳴き続けていた。
私はまともに料理ができないので、ひとりで外食して帰ることもよくあったっけ。
休みで1日中一緒に過ごせる日は、私にべったりくっついて気が済むのか、夕食の準備中もけっこう静かにしてくれたので私も料理に集中できた。
日々のお留守番はとてもお利口にできていたけど、やっぱり寂しかったんだと思う。
おむすびが寂しくないように、もう1匹猫を飼ってもいいという気持ちはあった。
ただエイズキャリアだったおむすびに、エイズを発症させないために同居猫へのストレスは極力避けたかった。
それに、飼い主の愛情を独り占めできない状態がかえってイヤだったら?と思うと踏み切れなかった。
アオイとユズ
だからアオイの里親になることを決めた時、寂しくないようにとユズもうちの子にした。
どちらも甘えん坊だから、やっぱり構ってちゃん。
だけど日中飼い主たちが留守にしていても、こっちがへとへとになるくらい甘え続けることはない。
うまく言えないけど、この2匹は幸せなのかも、と思う。
おむすびのように、厳しい外での生活に耐えたこともないし、人間に捨てられた記憶もない。
夕方になれば、私たちが帰ってくることを疑わない。
おむすびは「もしかして帰ってこないのでは?」と不安に思ったことはなかったんだろうか?
一度捨てられた不安は、安心や愛情できれいさっぱり拭い去られるものなんだろうか?
そこまでは心配しすぎかもしれないけれど、猫も人間と同じくらい繊細で傷つきやすいことを忘れてはいけないと思うのだ。
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