猫とビー玉

猫に振り回される幸せとドタバタ日常。自作のヘタ漫画をまじえて綴っていきます

怒りの感情は自分自身を傷つける

3つのビー玉

 
私にとって、幸せのイメージはビー玉に似ている。
まるくて小さくて様々な色彩を持っていて、光の当たり方でニュアンスを変える。何気なく置いておくと、コロコロとどこかへ転がっていつのまにか見失ってしまう。
そして忘れたころに、ソファーの下から出てきたりする。
 

幸せになるために何ができるか  

幸せを手に入れるのは、言葉で言うほど簡単なことじゃない。いつも幸運をこの手にしたいと思っているのに、はっと気づいた時には、つかみそこねた幸せの尻尾が遠ざかっていくのをむなしく見送っていたりする。
 

 それに、生きていれば必ず苦しみはついてくる。決して苦しむために生きてきたんじゃないのに、幸せより苦しみの方が多いんじゃないの?と思うことさえある。

 

マイナスの感情を減らしてQOL(Quality of life:生活の質)を上げる

よく、幸せは自分の中にある、という。これはその通りだと思う。
幸せだと感じるかどうかはその人の考え方次第だということだ。同じ境遇でも、感じ方は人それぞれ違う。
 
だから人生を少しでもマシにするために、環境だけでなく、マイナス思考のクセを改善してQOL(Quality of life:生活の質)を上げたい。
そう思って私はいつも自分と悪戦苦闘している。
 

怒りの感情は自分自身を傷つける


私は、自分のくだらない感情に振り回されてへとへとへになることがある。
その感情のひとつに「怒り」がある。
 
怒りというのは厄介なもので、怒っている自分の感情にフォーカスすればするほど大きく膨れ上がり、心は急き立てられ追い込まれる。
「怒り」は何一つ、私にメリットを与えてくれない。時間を浪費させ、心を疲れさせるばかりだ。
怒りが過ぎ去ったあとも、どこか居心地が悪い。
怒りに乗っ取られると、心は知らず知らずのうちに傷ついているんじゃないだろうか。
 

 

 

怒りを消すにはどうしたらいいのか

白い花


怒りの原因を取り除く

ベストな方法はもちろんその原因となっているものを取り除くことだが、そのストレスの原因が他人である場合は難しい。
基本的に他人を変えることは不可能だ。変えようとすると角も立つ。環境を変えるのも限界がある。
他に変えられるもの、と言ったら自分しかない。
 

深呼吸してみる

怒りを覚えたら5回深呼吸してみなさい、というアドバイスをよく耳にする。
例えば、コンビニの店員の態度が悪いとか、レジに並んでいたら後ろの人が無神経に何度もぶつかってくる、などの突発的な怒りに対しては、確かに深呼吸は有効だ。
 
が、私たちが常日頃悩まされているのは、もっと経常的な怒りなんじゃないだろうか?例えば、上司がムカつく、前に座っている同僚がしょっちゅうどうしようもない独り言をぶつぶつ言っている、などのケースだ。
これらを深呼吸5回で問題解決するのは無理がある。
 
自慢じゃないが、長年会社員をやってきた私は、あらゆる怒りを経験してきた。もう一度言うが、ムカつく上司や同僚の独り言を深呼吸は解決してくれないのである。
その種の怒りは自分の心にあまりにも根強く居座り続けているからだ。
 

マインドフルネス

職場でのストレスに悩み、半年ほどのあいだ会社のカウンセラーとメールのやりとりをしていたことがある。
その時勧められたのがマインドフルネスだ。マインドフルネスとは宗教色のない瞑想の一種で、雑念や目まぐるしく押し寄せる思考を頭の中から追い出し、静かに今という一瞬に心を向ける、というものだ。
 
これは効果があったものの、難点もあった。
まず、習得に時間がかかる。
そしてやっと慣れてきて、雑念が消えるようになってきたな、と思えるようになっても、無心の状態は長く続かない。長くて数分、短くて数秒で雑念が戻ってきてしまう。
うまくできたと満足できるのは10回やって1回くらい。
そして何より大変だったのが、マインドフルネスの為に毎日時間を割かなくてはならないということだった。いつもせかせかと時間に追われている私にとって、たかが10分されど10分、毎日となると難しいものがあった。
 

考え方を根本から変えてみたらどうだろう?

生きていると、大切なものがひとつふたつと奪われていく(もちろん、その一方で別の大切なものが増えたりするのだけれど)。
喪失が人に与えるダメージはあまりにも大きい。
 
父や母、そして愛するペットを亡くし悲しみに暮れた時、私は「今までの自分は、なぜくだらない些細なことに振り回されてきたんだろう?」と思った。愛するものを失った深刻な苦痛に比べれば、それまで苦痛と感じてきたことなど取るに足らないものだと気づいたのだ。
ムカつく上司や同僚の独り言などは、長い人生の中で直面する苦痛ランキングの中では、ベスト5にも入らない。
 

やがて私は走馬灯に行きついた

大切な人やペットを看取ってから、自分が死ぬ間際には一体何を思い出すんだろう?と考えるようになった。大学に受かったとか、結婚式の日とか、昇進したとか、そういう輝かしい一瞬では恐らくないだろう。
多分、家族と囲んだ夕食のテーブルや、夫と猫の傍らでうたた寝する土曜の午後などの、何気ない幸せな日常のひとコマを思い浮かべるんじゃないだろうか。
そして、その何気ない日常こそが、自分にとって一番大切なものなのだと気づいた。
 
今でも相変わらずムカつく上司や理不尽な出来事に性懲りもなく怒っている私ではあるが、あやうく怒りの感情が暴走しそうになった時には、「自分が死ぬ間際に見る走馬灯に映るもの」について思いを巡らすことにしている。
そうすると、目の前の怒りの対象がいかにアホらしく自分にとって無価値であるか、という事実に気づくことができるのである。