宿坊での朝勤行
翌朝は5:30に起床して、お堂で朝のお勤めだ。持ってきた衣服を全て着て、着ぶくれた状態でお堂へ向かう。
お堂に入ると、ストーブがふたつ焚かれている (チェックアウト時にお坊様が「今朝は0度近くだったのですよ」と言っていた)。来た順番に椅子に座る。ストーブの近くになった。うれしい。
お堂に入ると、ストーブがふたつ焚かれている (チェックアウト時にお坊様が「今朝は0度近くだったのですよ」と言っていた)。来た順番に椅子に座る。ストーブの近くになった。うれしい。
この宿坊に泊まるのは今回で3度めだが、1度めの宿泊での朝勤行は椅子がなく、畳に正座だった。30分も正座して、お焼香の順番が回ってきた時は、よろよろしてしまい立ち上がるのが大変だった。2度めの宿泊時には椅子が並べられるようになり、足のしびれの心配もいらなくなった。
全員が揃うと、そこにいた僧侶たちが入り口に並んで住職を迎え入れる。
厳かに読経が始まった。
ここで聞くお経は、法事で聞き慣れた般若心経と違って、何人もの僧侶によって唱えられ、それはまるで美しいハーモニーで構成された音楽のように聴こえる。お坊様はきっと歌がうまいんだろうな、などと考えてしまう。
厳かに読経が始まった。
ここで聞くお経は、法事で聞き慣れた般若心経と違って、何人もの僧侶によって唱えられ、それはまるで美しいハーモニーで構成された音楽のように聴こえる。お坊様はきっと歌がうまいんだろうな、などと考えてしまう。
目を閉じて読経に聞き入っていると、重なり合う声の波間を漂っているような、眠りにつく一瞬の何もない空間にいるような感覚になる。うっとりとしていると、口元が緩んでだんだん口があいてきた・・。はっと我に返り、口元を引き締めなおす。
やがて、宿泊者たちが順番にお焼香をあげ始めた。焼香はいつも緊張する。作法通りにやろうとすることでいっぱいいっぱいになるので、本来の焼香の意味は頭からなくなってしまうのだ。
焼香がひと通り終わると、今度は全員でお経を読む。入り口で渡された紙に般若心経が書いてあり、親切にもフリガナまでふってあるのだが、お経の速さについていけず、目が文字の上で迷子になることたびたびだった。
40分ほど続いたお経が終わり、住職が私たちの目の前に立ちお話される。最後の「穏やかな日々をお過ごしくださいますように」の一言に心がほっこりとした。
いよいよ奥の院へ
チェックアウトは10時までだったが、9:30には宿を出て奥の院へ向かおう、ということになった。
バタバタと部屋を走り回る私。忘れ物はない?風呂の電源は切ったか?カッコ悪い忘れ物はできないぞ。あと何分?
一方、夫は廊下のソファで中庭を心静かに眺めている様子。これこそ宿坊で過ごす正しい態度だろう。私だって時間さえあれば庭をゆっくり眺めたい・・・。なんで私っていつもバタバタしてるの?
バタバタと部屋を走り回る私。忘れ物はない?風呂の電源は切ったか?カッコ悪い忘れ物はできないぞ。あと何分?
一方、夫は廊下のソファで中庭を心静かに眺めている様子。これこそ宿坊で過ごす正しい態度だろう。私だって時間さえあれば庭をゆっくり眺めたい・・・。なんで私っていつもバタバタしてるの?
奥の院への道路は人通りも少なく、歩きやすかった。多分11時くらいになったら、人がどっと押し寄せてくるに違いない。
一の橋
一の橋をわたると空気は一変する。神聖というか霊的というか、丸めていた背筋をビシッと正さずにはいられないような気持ちになる。気温も0.5度くらいは下がっているんじゃないだろうか。
御廟橋までは、2㎞ほどの道を歩く。道の両脇には樹齢数百年の杉の巨木、そして戦国武将たちや時の権力者の墓石、記念碑、慰霊碑、企業の墓の数々が建ち並ぶ。
並んだお墓の間を分け入って奥まで進んでお参りする人たちを何人か見かけた。お目当てのお墓の場所をきちんと下調べしてきているに違いない。でないと、あまりにもお墓が多く、標識があるわけでもないから奥にあるものは多分見つけられない。
水向地蔵
杉とお墓に囲まれた道が開け御茶処に出ると、どこからわき出たの?と思うくらい人がいる。私たちが通ってきた一の橋ではなく、駐車場の方からやってきた人たちだ。
人々は、ずらっと並んだ15体の地蔵さまのにひとつひとつに水をかけていく。何人もの人が同時にひしゃくを石に置くカランカランという音が、何層にも響いて心地よかった。
これは最近知ったことだが、地蔵さまに水を掛けてはいけないらしい。供養したい人の塔婆を水向地蔵の足元に置き、塔婆に水を掛けるのが正しいのだそうだ。
御廟橋から燈籠堂へ
いよいよ御廟橋に着いた。ここからは撮影禁止だ。
ここを少し歩くと左手に格子状の小さな御堂があって、その中にみろく石がある。
このみろく石はとても大きくて重いのだが、片手で持ち上げて上の段に置けたら願いが叶うと言われている。以前やってみたことがあるが、その重さに浮かせることさえできなかった。
みろく石に近づいていくと、年配の夫婦とその息子夫婦と見受けられる4人が挑戦中だった。夫はそれをじっと見ている。「前やったよね?」と夫に向かって話しかける。そして矢継ぎ早にけん制する。「あの時は若かったけどできなかったね。やるの?やったら筋痛めるかもよ?」
「やらないよ~」と夫が答える。むむぅ、私が隣でうるさく言わなければ、本当はやりたかったのかもしれぬ。
みろく石に近づいていくと、年配の夫婦とその息子夫婦と見受けられる4人が挑戦中だった。夫はそれをじっと見ている。「前やったよね?」と夫に向かって話しかける。そして矢継ぎ早にけん制する。「あの時は若かったけどできなかったね。やるの?やったら筋痛めるかもよ?」
「やらないよ~」と夫が答える。むむぅ、私が隣でうるさく言わなければ、本当はやりたかったのかもしれぬ。
燈籠堂には無数の燈籠が納められている。入ったとたんにその数に圧倒される。
この地下に大師様がいるのかと思うと、過去の罪悪感などがよみがえり思考停止に陥る。
いろんな意味を込めたため息をつきながら、もと来た道を帰る。
大師さまのご飯
すると向こうから僧侶が二人、結構なスピードで向かってきた(ここで見かける僧侶はいつも早足だ)。白い木の箱を運んでいる。大師様のご飯だ。最近大師様はパスタなんかも食べるらしい。あの箱の中には何が入っていたのだろう。
つまづくと3年以内に命を落とすという伝説のある覚鑁坂まできた。
すっかりそれを忘れてのほほんと歩いていたら、墓石に耳を当てている外人を見かけた。不思議なことをしているな、と思いながら通り過ぎたが、あとで調べるとこれは禅尼上智の墓石といって、耳をあてると善人には天の声が聞こえ、悪人には地獄の釜のうなる音が聞こえる、という言い伝えがあるのだそうだ。
ちょっと勇気がいるが、次に訪れた時には耳を当ててみよう。それまでに少しでも多く、私の中に住む悪人を追い出せたらいいのだけれど。
ちょっと勇気がいるが、次に訪れた時には耳を当ててみよう。それまでに少しでも多く、私の中に住む悪人を追い出せたらいいのだけれど。
そして伊勢、奈良、高野山を巡る旅は終わった。
旅の終わりはいつもさみしい気持ちになる。まるで、誰かと別れを惜しむようなさみしさだ。
この日も「また来ますから、ちゃんと機会を下さいね」と心の中で呟いて、高野山をあとにした。