姉と私
私には姉がいて、二人姉妹だ。
私はよく母親から「手のかからない子」と言われた。
次女特有の要領の良さもあったのかもしれない。
よく姉が何かしでかして父に叱られるのを見ては、これはやっちゃいけないんだな、と思ったものだ。
「出来の悪い子ほど可愛い」という言葉は行き過ぎだけど、姉は私より手のかかる子供だった。
私はなんだか自分が放っておかれているような気がすることがあって、よく「もっと私に構って!」と思うことがあった。
大人になり、姉と話していて「父も母もえびねには甘かった」と言われたことがある。
そうだったんだろうか?
なんだか腑に落ちないような・・。
沸き上がってくるような「もっと私に構って!」という気持ちは、単なるわがままだったのか?
今でもわからない。
手のかからない猫
猫と暮らすようになってやっと、手がかかればかかるほど愛着も増すということが実感としてわかった。
アオイはよくゴハンを残すし、よく吐く。
だからアオイの食事中はつきっきりで見守る。
ちょっとした物音で食べるのをやめてしまうので、雑音が耳に入らないようにずっと話しかけている。
アオイはグルメなのか、今のエサにたどり着くまでには苦労させられた。
ありとあらゆるカリカリを試しに買ってみるものの食べてもらえない、を何度繰り返したことか。
そして、ちょくちょく病院のお世話にもなるので、心配は絶えない。
それに比べてユズは手がかからない。
ゴハンもきちんと食べるし、吐かないし、いつも元気で安定している。
三太は自分が家にいる時は、いつも猫ゴハンを用意してくれる。
アオイがゴハン台から離れてしまい、ユズが残って食べ続けている時、三太はユズを置いてどこかに行ってしまう。
決して冷たいわけではない。
猫たちにはいつも甘々だし、休日には私よりたくさん膝に乗せてあげている。
たぶん、ユズなら放っておいても完食してくれる、と思ってるんだろう。
でもね、ユズだってゴハン中に見守ってほしいんじゃないかと思うんだ。
アオイの調子が悪い時は、アオイに気持ちがいってしまってごめんね。
アオイに手がかかるからといって、愛情が偏ってるなんてことはないからね。
単純で、ストレートで、ちょっとマヌケなユズ、私の心のオアシスみたいな安らぎの存在だ。
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