アオイ「あたしに鈴をつけようったって ダメだからね」
イソップ寓話
イソップ物語に、ネズミの相談というお話がある。
いつも猫の脅威にさらされているネズミたちが、集まって相談をする。
猫のなにが怖いって 音もなく近づいてくるのが怖い、と1匹のネズミが言う。
足音でもすれば、逃げる時間もあるのに。
そこで出されたアイデアは「猫の首に鈴をつける」こと。
「それいいね!」と賛美の声が上がるが、誰が猫に鈴をつけに行く?という話になると、みんな黙り込んでしまう。
いくら名案があっても、実行できないのであれば意味はない、ということですね。
猫に鈴をつけたいとき
音もなく歩き いつの間にか足元にいる猫に、私も最初はとても戸惑った。
今では下を見て歩く習慣が身についたけれど、まだ慣れないころは何度も蹴とばしそうになった。
その度、鈴をつけたらこの問題は解決するよな、と思ったものだ。
実際に鈴をつけようと思ったことはないけれど、可愛い首輪はつけてみてほしかった。
だけどうちの猫はみな、首輪が苦手。
何度かトライはしてみたものの。
こんな感じなので あきらめた。
ところで、さっきまでいた猫たちが見当たらない。
やな予感がして、腰を上げる。
やな予感的中。
キッチンに入って見ると、一瞬動きを止めて私を見る猫たち。
ちょっとヤバいけどやめられん、という顔。
こんな時、鈴つけてたらすぐ気づけるんだろうなぁ。
でも、鈴をつけられた猫さんにしてみれば、始終鈴がリンリン鳴ってうるさくないんだろうか?
音がストレスになるかもと思うと やはりつけられないなぁ、と思うのだった。
酸っぱい葡萄
イソップ物語ですごく共感するのは、「酸っぱい葡萄」のキツネ。
ウォルター・ハント (Walter Hunt、1861-1941年) (英題) "Sour grapes"/イギリス人画家による1890年の油彩画
葡萄の木を見つけて、何度も跳び上がったキツネ。
だけど高すぎて届かない。
キツネは負け惜しみのように「あの葡萄はどうせ酸っぱいに決まってる」と言って去っていく。
フランソワ・ショヴォー(英語版) 木版画挿絵/ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ『寓話詩(英語版)』(1694年初版刊行)より。
私は昔から、期待に反した結果が出たり 良くないことが起こったりすると、自分の都合のいいように意味をつける癖がある。
これがなければ、更に悪い方向に転がっていたかも、とか。
これは次の幸せのために必要なことだったんだ、とか。
人生で起きる良い事と悪い事は フィフティーフィフティー、だからここで悪いことを使ってしまって良かった、とか。
そんな風に自分を納得させないと、前に進めない。
ネズミ「首輪がないから、鈴はつけられないな」
アオイ「でしょ?」
読んで下さりありがとうございます
人気ブログランキングはコチラ
お手数おかけします