アオイ
喪失感
気持ちが弱っている時、私は心の中で 逝ってしまった者に話しかけることがある。
写真の中の父と母に向かって「見守っててね」とお願いしたりする。
私の父と母は もうずいぶん前に亡くなっていて、生前の姿は写真で見ることができるけど、声はもう二度と聞くことができない。
そんなことをつらつら思っていると、虚無感が襲ってくる。
誰もが皆、いつか死ぬ。
命は、必ず尽きる。
それだけは、生きるものに平等に与えられた運命。
おむすび
初めて飼った猫のおむすびが逝ってしまった時、私は動かなくなったおむすびの前で 2時間泣き続けた。
父や母が亡くなった時 声を出して泣くようなことはなかったのに、この時は大声をあげて泣いた。
近所に聞こえていたかもしれないけど、そんなこと構わなかった。
アオイが死んでしまった時は まる2日めそめそ泣き続けたので、眼球がズキズキと痛んだ。
大事な者を失うたびに私は、「もう身が持たないよ」って弱音を吐きそうになるのだけど、同時に「今そばにいてくれる者を大切にしよう!」と心に誓う。
愛情の出し惜しみは絶対にしないぞ と。
存在の大きさ
おむすびやアオイの闘病時のことを思い出すと、悲しくて眠れなくなることがある。
もう後悔はしたくない。
だから今できることを精いっぱいやろう、誠実に。
例えば、家族の健康を考えて お惣菜は買わずに手料理にこだわったり。
相手のことを思うあまり、ウザイと思われても「あーした方がいいよ、こーした方がいいよ」と口うるさく言ったり。
なのにまた、後悔するようなことを繰り返してしまうアホな私。
くだらないことでイラっとするし・・・
余裕がなければ、目の前の雑事を優先しちゃうし・・・
でもそんな時、猫たちのお骨や写真が思い出させてくれる。
こんなに大好きで大事な存在がいるのだ ということを。
生きて死ぬということ
ユズ
若いころから私には、「なぜみんな生まれて死んでいくのだろう?」という疑問が 常に心にあった。
30代のある日、ふと「誰もが、地球だか宇宙だかの大きな生命体を構成する 小さな細胞みたいなものなんじゃないか」という考えが頭に浮かんだ。
だとしたら、生かされている意味もわかる。
そして今も、そうなんじゃないかと思っている。
生きるってけっこう辛いことだけど、そう思えば余計な力が抜けて この先もやっていけそうな気がしませんか。
青
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