漢方薬
主治医から治療法はないので辛い症状を和らげていきましょうと言われて、三太は迷っていた漢方を始めることにした。
猫に漢方を処方してきた実績のある佐野薬局、ブログもやっていらっしゃる。
おむすびの症状に合わせて処方してもらったものを朝晩2回ずつ飲ませたが、やはり飲むのを嫌がった。
液状の漢方をシリンジで、牙のうしろの隙間に差し込んで飲ませるのだが、普通は隙間があいているその部分も、もう歯肉が腫れて隙間の多くを塞いでしまっていた。
私には、ここまで衰弱してしまったおむすびに漢方を飲ませるのが、意味のあることだとは思えなかった。
私は父と母をがんで亡くしていて、弱っていく姿を見てきた。
余命宣告されていたがあきらめられず、奇跡を信じて高い漢方を飲んでもらったこともあった。
でも奇跡は起こらず、父も母も回復することなく亡くなった。
あるところまできてしまったら、奇跡は起こらない。
おむすびもまだ8月くらいの状態だったら、希望は持てたのかもしれない。
でももうそんな段階ではない、と私は思っていた。
私と三太の意見は対立して、私はもうおむすびの嫌がることはしたくない、だから漢方を飲ませる手伝いはしない、と言い放った。
言ったあとに少し三太のことが心配になった。
三太はそれからひとりで漢方薬の準備をし、おむすびはおとなしくそれを飲んでいた。
もう抵抗する力がなくなっていたし、やっぱり三太のことが大好きだったから。
三太も飲ませるのがどんどん上手になっていった。
酸素ハウス
それまでおむすびは時々呼吸が早くなることがあったが、この頃から息が苦しそうになってきた。
酸素ハウスをレンタルした。
おむすびは閉所恐怖症の気があって、透明な酸素ハウスも嫌がった。
酸素ハウスには頭が入るくらいの丸窓があって、戸を閉めると丸窓から抜け出してしまった。
まともに歩けなくなった衰弱した身体のどこに、小さな穴から脱出するパワーが残っているのか不思議だった。
悪い状況には、それに追いうちをかけるような状況が重なったりするものだ。
私の仕事は、辞めた同僚の肩代わりで忙しさを極めていた。
お茶を飲む暇もなく、おむすびの為に早く帰りたくて昼休みも休まず仕事した。
家に帰ると時々、おむすびの吐いたものや粗相で家はひどい有様になっていた。
眠れない夜もあり、体はフラフラした。
夜中、おむすびは1時間ごとにトイレに行った。
トイレにたどり着く前に漏らしてしまうこともあったので、トイレをいくつも作って部屋中に置いた。
ある夜の1時半、リビングで目を覚ますとおむすびが大好きな羽毛布団の上でうんちをお漏らしして身動きがとれなくなっていた。
この頃はほとんどが下痢だったので、後始末に時間がかかり、片づけ終わったら3時になっていた。
あと1時間は眠れると思って寝ようとしたら、私をずっと目で追っていたおむすびが立ち上がって鳴いた。
そばに行くと、前足を私の膝にかけて乗ろうとした。
私は抱き上げて自分の膝に乗せた。
おむすびは丸くなって、安心したように眠り始めた。
すっかり小さくなってしまった体を撫でていたら、涙が止まらなくなった。
そのうち私もいつの間にか寝てしまった。
4時過ぎに起きてきた三太に「どうしてそんなところで寝てるの?」と聞かれて事の次第を話すと、
「これじゃ体を壊す。自分たちが参ってしまったらおむすびの面倒をみれなくなる。これからはもっと割り切ろう」と三太は言った。
寂しさの行方
その後、リビングとダイニングをパーテーションで仕切り、ダイニング側の床一面にペットシーツを敷き詰めた。
交代でリビングで寝るのはやめて、二人とも寝室で寝ることにした。
夜、おむすびをダイニングに残して灯りを消す時、壁の掛け時計が放つ仄暗い光を見るたび、私の胸はしめつけられた。
私は怖いのだ。
おむすびが苦痛を感じると自分も傷つくような気がして、これ以上傷つきたくないと思ってしまう。
考えてみれば父や母の時もそうだった。
こういう時に、人は真価を問われるんだろう。
そして私はいつも、自分の弱さを目の前に突きつけられるのだ。
おむすび編143に続きます
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