今日は、ここまでおむすびのお話を読んできてくれた皆さまに告白しなくてはならない。
この先は辛い話になる。
おむすび編のこと
ブログを書こうと思い始めた当初、うちにはアオイとユズという猫がいて、実はおむすびは先代の猫という立場になっていた。
だけど私の頭には、おむすびをすっ飛ばしてアオイとユズのことを書く、という考えは浮かばなかった。
おむすびのことを思い出さない日はなかったし、おむすびがいなければアオイとユズも飼っていなかっただろう。
そして私の心におむすびがあけた大きな穴は小さくなることなく、ずっと哀し気に大きな口を開けていた。
おむすびは私にとって、特別な猫だ。
押しかけ女房みたいにうちの玄関に住みついて、稀に見る人懐っこさと甘えん坊でうちの猫になった。
おむすびに捧げるつもりで、私はこのブログを書き始めた。
そしてここまでおむすびのお話を書き続けてきて、とうとう私が記憶していたおむすびの思い出と、読み返してきた日記のエピソードが底をついてしまった。
闘病していた数か月間の写真はいまだに辛くて見ることができないけれど、エピソードが尽きてしまった以上、封印してきた闘病期間の日記を読み返すしかなくなった。
このおむすび編、あと何回かにわけて闘病記を書こうと思う。
漫画は辛くて描けないので文章が多くなるが、最後まで頑張ったおむすびを一緒に見届けてもらえたら嬉しい。
おむすびの異変
おむすびがうちに来て4年が経った夏、おむすびは時々ゴハンを残すようになった。
毎年夏には食欲が減退するし、今年もちょっとバテ気味かな、なんて思っていた。
食欲の波に比例して体重が減っては元に戻りを繰り返していたので、涼しくなってもこれが続くようなら病院に連れていかなくては、と思っていた。
ある日のリビングで、おむすびはいつものように私と三太の間に座っていた。確か香箱座りをしていたと思う。
その時三太が叫んだ。
「見て!おむすびが震えてる!」
すぐ病院へ連れていき全身検査をした。
エコーで見た限り、おむすびに悪いところは見つからなかった。
10歳にしてはとても綺麗な内臓ですと言われたが、実際は具合が悪いだけに喜んでもいられない。
その日病気の確定はできず、血液検査の結果を待ちましょうということになり、抗生剤をもらって帰ってきた。
おむすびはウェットフードに錠剤を混ぜると、器用に薬だけを残した。
潰して混ぜると、もうフードも食べない。
仕方なく捕まえて強制的に飲ませたが、頑なに口を閉じて拒否した。
うまく飲ませることができた、と思ったら吐いてしまうこともあった。
抗生剤を飲ませ始めてから数日後、一時的におむすびの調子は良くなった。
食欲が出て、ゴハンも平らげた。
おむすびが三太に大きな声でゴハンの催促をしているのを朝ベッドの中で聞いた時は、嬉しくて涙がこぼれたのを思い出す。
その後何度もおむすびを病院へ連れていき、考えられる病気の可能性をひとつふたつと消していった。
最後に残った選択肢は、ヘモプラズマと猫エイズの発症。
主治医はこの二つを併発していると、最終判断した。
私はずっと、猫エイズだけは避けたいと思っていた。
他の病気なら寿命だとあきらめることもできるけど、エイズは感染さえしなければかからなくてすむ病気だ。
猫エイズのキャリアだと判明してからの4年間、発症しないようにとあらゆるストレスを避けてきたつもりだった。
私は主治医の診断がはずれていることを祈り、ヘモプラズマだけの可能性にしがみついた。
その後のおむすび
おむすびはじっとしていることが多くなったが、調子がいいと動き回った。
それがとてもうれしかった。
いつもは入れないキッチンに入れてもらうと、尻尾を震わせながらあちこ匂いを嗅いで回った。
調理台を見上げて飛び乗ろうとしたが、後ろ足の筋肉が落ちているので飛び上がることができず、前足を調理台の側面についてしまった。
私はがっかりした顔のおむすびを持ち上げて、調理台に乗せた。
いつも乗ると即座に下ろされる調理台の上で、とてもうれしそうだった。
低かったおむすびの赤血球の数値は上がることなく、次は白血球の数値が減り出した。
徐々に、またおむすびの具合は悪くなっていった。
そう言えば、いつからか帰宅時のお出迎えもしなくなっていた。
「ただいま」と玄関からリビングをのぞくと、私の座椅子の上で顔だけこっちに向けた。
しんどかったのだと思う。
見るからに毛並みも悪くなり、痩せてきた。
そして嘔吐、下痢を繰り返すようになった。
おむすびにとって何が一番幸せなのか?
おむすびはどうして欲しいと思っているのか?
おむすびが一番してほしいと思うことをしてあげたい、と思った。
おむすび編141に続きます
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