13歳のひとり旅
中学一年生のころ、皆さんはひとりでどこまで行けましたか?
私はせいぜい隣町くらいまで。
世界はめちゃくちゃ狭かった。
私の夫 三太は中学一年生の大晦日、たったひとりで自宅の福岡から電車を乗り継ぎ、東京の叔父さんのおうちまで遊びに行ったんだそうな。
13歳になったばかりの少年の、ちょっとした冒険だった。
30日の夜に福岡を出発し、新大阪に着いたのが31日の朝方。
空がうっすら白んでいた。
三太は撮り鉄じゃないけど少年の頃は電車好きで、その先いくつか電車を乗り継ぎ、駅に降り立ってあちこちウロウロしては写真を撮った。
夜になって米原に着くと、雪がちらほら舞っていた。
あたりは 雪特有の静けさでしんとしていた。
時々、ホームに入ってくる電車のゴトンゴトンという音が聞こえていた。
ひとけのないホームを歩いていると、目の前にはだだっ広い雪景色が広がり、遠くに薄暗く点々と灯る照明が見えた。
長く伸びた引き込み線の向こうには、停車した電車の黒々とした影が並んでいた。
この米原駅の風景は、深く鮮やかに記憶に刻まれた。
そこからまた電車を乗りかえ、大垣発の東京行きに乗り込んだ。(今は東京と大垣を結ぶ直通はないようです)
夜も遅かったので 車内は人もまばらだった。
しばらく電車に揺られながら窓の外なんかを眺めていたが、なんとなく別の車両に行きたくなってきた。
席を立ちホームを歩いている途中で、電車の中で食べようと買っておいたドーナッツを置いてきてしまったことに気づいた。
急いで戻ると そこにはボロボロの服を着た男の人が座っていて、三太のドーナッツをむしゃむしゃ食べていた。
三太は肩を落として そのまま引き返した。
東京に近づくと、初詣の乗客が増えてきた。
もう年が明けたのだ。
東京に到着してからもあちこち寄り道して、親戚の家に着いたのは午後。
いとこたちと遊んで楽しい正月を過ごし、帰途についた。
帰りは、また長い電車の旅だった。
東京からは 博多行きのブルートレインに乗った。
そこで乗り合わせた男性が、体がごついのに化粧をしているのにびっくりした。
その男性が話しかけてきた。「ひとり?」
そして「私は小倉まで行くの。親戚のお葬式なのよ」
その男性の口から出てきた言葉が女言葉であることに ダブルで驚いた。
その男性が写真を撮ってほしいというので、先頭車両交換で停車した下関でホームに降り、電車に片手をかけて昭和っぽいポーズを決めたところを撮ってあげた。
男性は、写真の送り先を書いたメモを三太に渡した。
そんな風にして三太は、ワクワクと驚きの旅を無事終えた。
今、三太は「あの時はなんだか怖くて、結局写真を送れなかった。申し訳なかった。送れば良かったって思うよ」と言う。
そうだね。
私もそう思う。
そして三太が、そういう後悔をする人で良かった と思う。
行ってみたいところ
アオイは、おむすびが連れていってくれるまたたびカフェがお気に入りのようです。
私が毎日のように出かけていった先がどこなのかを、知りたいようです。
おむすび「マタタビの酔いがさめたら、えびねを尾行しに行きましょう」
アオイ「いつもここに来てたのね」
会社ですからね。
私のデスクマットに、自分たちの写真が挟んであるのを見つけたかな?
仕事の合間に、心の中でそっと話しかけてるのです。
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