私が猫を好きだと思うのは、付和雷同しないところ。
じゃあ、自分の世界だけで気ままに生きているのかといえばそんなことはなく、ちゃんと空気も読む。
そして、言葉を理解することもある。
今手にしているものを将来も持ち続けていられる、という保証はない
一方で、常時言葉を使っている人間に対して、言葉理解できないの?と言いたくなることがある。
例えば、国会の答弁なんかを見ている時とか。
質問の意味がわからないというよりも、元々まともに答える気がなくて的外れな答弁を繰り返していると思われる。
国民を舐めているな、と思うのだけど、そんな議員たちを選んでいるのは紛れもなく私たち国民だ。
そして、選挙に行かない多くの人々の無関心が、この「国民を舐める現象」に拍車をかけている。
そんな知ったようなことを言っている私も、20代の頃の投票に行った記憶は2回だけ。
年金なんて遠い将来にもらうもの、今は関係ないわなんて思っていた。
でも、年月はあっという間に流れる。まさか、こんなに早く歳をとってしまうなんて。
本当にあっという間にきますよ。
今、私は真剣に「本当に年金もらえるのか?」と危ぶんでいる。
今を生きることは大切だが、現在から未来を見通すことも同じくらい大切だと思う。
若いからこそ20年後30年後に、健康でいられるのか、どんな生活をしているのか、持つべき権利は守られているのか、考えてほしい。
ちゃんと考えれば、政治はわからないとか、放っておいても頭の良い人がやってくれるだろう、なんて思っていられない。
だって政治は私たちの生活に多大な影響を及ぼすし、善良で頭の良い人はとても少ないから。
面倒だからと考えないでいると、持っていて当然と思っているものさえ失うかもしれない。
猫は言葉を理解する
猫の話に戻る。
うちのおむすびは一晩に何度も私のふとんに出入りする。
それが、珍しく一晩中私のふとんでぐっすり寝ていたことがあった。
私は寝返りも思うように打てず、おむすびに気を遣って熟睡もできす、スッキリ爽やかとは程遠い朝を迎えた。
1階に下りると、おむすびは朝ごはんをとっくに済ませて、三太とリビングに居た。
凝り固まった体の節々をモミモミしながら、私はつい三太に愚痴った。
「ゆうべさ~、おむすびがずっと一緒に寝てたんだよ。もう体中が痛くて」
するとおむすびは、私の顔をジッと見た。
その顔は、悲しそうでもあり、失望しているようでもあった。
そして「んるるっ」と言うと、2階へ駆け上っていった。
私はその瞬間「バレたな」と、確信した。
そしてすぐ2階に上がって、ご機嫌をとった。
多分おむすびは、おむすび=自分のこと、だとわかっていて、おむすびというワードと暗い声のトーンの組み合わせで、良からぬことを言われていると感じたのだろう。
これからは気をつけなきゃ、と私は自分に言い聞かせた。
それにしても、猫のなんと賢いこと。
その賢さ、人間も見習いたい。
おむすび編78に続きます
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