水の影
ユーミンの「水の影」という曲がある。
この曲がふいに流れてくると、涙が止まらなくなる。
母が余命宣告されたのは、15年ほど前のことだった。
当時父は既に他界していたので、私か姉のどちらかが必ず実家に泊まるようになった。
実家に泊まる日は仕事をフレックスで早く終え、急いで実家へ帰り簡単な二人分の食事を作った。
疲れた日には、お惣菜を買って帰った。
夕食が終わると私はあと片付け、母はそのまま台所でテレビを観ていた。
母の好きなテレビは「鬼平犯科帳」と、NHKの「探検ロマン 世界遺産」という番組。
「探検ロマン 世界遺産」は私も好きな番組だったので、8時になると母が「始まったよ」と別の部屋にいる私を呼んだ。
私はやっていたことを中断して、台所の小さなテレビの前に座り、母と一緒にそれを観た。
その「探検ロマン 世界遺産」のエンディングで流れていたのが、ユーミンの「水の影」だった。
母との残りわずかな時間を過ごしていた私にはこの歌詞が、訪れる死がもたらす別れを意味しているような気がしてならなかった。
時は川 きのうは岸辺人はみな ゴンドラに乗り
いつか離れて 想い出に手をふるの
という部分。
今でもこの曲を聴くと、うす明るい蛍光灯に照らされた古い台所と、テーブルの向こうに座っていた母の姿がよみがえる。
別れ
人と別れた悲しさは、時が経てば薄れていくと思う。
心に開いた穴も、いつか塞がっていく。
だけど、猫が開けた穴はどうしても塞がらない気がする。
猫に対しては、嫌悪感や憎しみがいっさい無いからだろうか?
・・・わからない。
この先私の心は、一緒に暮らした猫の数だけ穴が開いて、穴だらけになっちゃうんじゃないか?
今できることをやろう。
命の重さをしっかり感じて、美味しい時間、ゴキゲンな時間を増やしてあげられるように。
何かをしても、何かをしなくても、後悔は必ず残る。
だけど、できるだけ最小限にしておきたい。
猫が開けた穴が塞がらないのは、心の中で猫が生き続けている証拠なのかもしれません。
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