厳しい外での暮らしに耐えるノラ猫たち。
ノラ猫のおむすびは人慣れしていたのでエサこそ人間からもらえていましたが、エサ以外の面では他のノラ猫たちと同じ、厳しい環境だったと思います。
おむすびにたかる蚊を見て思う
仕事から帰宅時、通り道のKさん宅にもお向かいさん宅にもおむすびがいない時は、だいたいうちの玄関にいて私を迎えてくれる。
夏の夕方けだるそうに(眠っていたんだろう)、でも嬉しそうに私を迎えるおむすび。
そしてそのおむすびのまわりにはブンブン蚊がたかっている。
最初この光景を目にした時、はたと考えた。
これでいいのか?
私はろくでもない人間だが、更にろくでなし決定のレッテルを貼られたような気がした。
そしておむすびを好きになるにつれ、その思いに比例してろくでなし感は増していった。
この年の夏の暑さは例年以上に厳しく、日差しが肌に痛いほど突き刺さり、不快な湿気はじっとりとまとわりつくようで、まるでサウナのようだった。
夏に弱い私には辛かった。
ましてや外で暮らしているおむすびにとって、その小さな体にどれほど負担がかかっていたのだろう?
この過酷な夏が終わっても、次は凍える冬がやってくる。
心まで切り裂きそうな冷たい木枯らしが吹く日、頭のてっぺんからつま先まで凍らせるような夜、私は大好きになりつつあるこの猫を、外に置いておくことができるか?
まさか。
できるわけがない。
家の中から、道路にぽつんと座るおむすびを見た
自分の食事も終えて、また2階から外を見下ろした。
通りには夏の夜の空気が満ちていた。
やっと涼しい風が吹き始め、熱を帯びていたアスファルトがやっと気持ちよく冷えてくる時間だ。
道路の端っこで、おむすびがオレンジ色の街頭に照らされてちょこんと座っている。
その後ろ姿から長い影が伸びていた。
今日は風が強く、時々唸るようなゴオっという音が聞こえる。
今まで、こんな強い風が吹く日や雨の日、おむすびはどこでどう過ごしていたんだろう?
飼われていた家を追い出された時は、心細くて怖かったんじゃないか?
そんなことを考えていたら、まるで自分が風がごうごうと響く人通りのない道に、独りぼっちで座っているような気がしてきた。
その小さな後ろ姿を見ながら、私はちょっとだけ涙ぐんでいた。
ノラ猫のこと
ここでちょっと真面目な話を。
私は昔、ノラ猫と家猫をなんとなく別物のように思っていた。
だけどこの頃から、ノラ猫も家猫も本質は同じなんだという当たり前のことに、遅まきながら気づいた。
おむすびをいつも威嚇しているオッサン猫も、家猫として生まれていれば、人に甘えて気楽に暮らしていたはずなのだ。
運悪くノラに生まれてきたばっかりに、ノラ猫のほとんどは人を信用しなかったり警戒したりして、最後までノラのままでその短い生涯を終える。(家猫の平均寿命は13~15年、ノラ猫は2~3年と言われている)
そして生きている間は、家の庭にウンチをしたりして人間に嫌われる。家猫に生まれていれば嫌われることもなかっただろうに。
ノラ猫が人を信用しなかったり警戒したりするのは、過酷な外の環境で身を守り生き延びるための手段なのだ。
本来持っている猫としての可愛いらしさは、不信感や警戒心の陰のずっとずっと奥に隠れて、私たちから見えなくなっているだけだ。
とても切ない。
おむすび編14へ続きます
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