自分が人からどう見られているのかを、すごく気にする人がいる。
人はそれほど他人に注意を払っていない
アホな雑音はシャットアウトしてますよ
私はそういう人に「人って自分が思ってるほどあなたのこと見てないよ」と言ってみるのだが、実はその人の心情は痛いほどよくわかる。
私も元々は人目を気にするたちで、幼稚園に上がった時には誰とも口をきけず、友達もできず孤独な2年間を送った。
これは行き過ぎた自意識過剰から、変に思われたらどうしようと思うあまり、自分の殻に引きこもっていたのだと思う。
子供心にこれじゃだめだと思い、幼稚園の卒業を機に、ありのままの自分を堂々と出していくことに決めた。
小学校では人が変わったように誰とでも話せるようになり、男子に飛び蹴りをするほどまでになった。
でも、人目を気にする性分が相変わらず自分の根っこに眠っているのは、ずっと感じていた。
心ない人やデリカシーのない人がいるのは事実
大人になるとそれなりに悩みも増えて、「生きるのってなんでこんなに辛いんだろう? 死んだら楽だろうな」なんて思っていた時期もあった。
大きな挫折をして、ひーひー言いながら生きていた20代の頃のこと。
暗い顔で駅を歩いていたら、向こうからにぎやかな中高年の団体がやってきた。
結婚式かなにかの帰りだったんじゃないだろうか、皆酔っぱらって上機嫌だった。
その一団とすれ違った時、酒臭いオッサンの一人が私の頭を叩いて「これがバカの見本」と言った。
そして、その連中はどっと笑った。
見ず知らずのオッサンにそんなことを言われる筋合いは全くないのだが、心身共に疲れ果てていた私は何も言えなかった。
涙が出た。ただ悔しかった。
今の私だったら「あんたは恥の見本だろ」くらい言い返すかも。
当時そんなパワーがなかったのが、かえすがえすも残念だ。
そのころから、私は吹っ切れるようになった。
人目なんか気にしないでよろしい。
人に私の何がわかる?
いや、何もわからない。自分も人のことがわからないし。
そんな何もわかっちゃいない人間に、どう思われてるかなんて気にするのも馬鹿馬鹿しい。
自分の人生しか生きてないくせに、知ったような顔でなにか言ってる奴は言わせておけばいい、と。
おむすび師匠は、我が道を行く
我が愛猫おむすびは、私の出勤前の貴重な時間も指導の手を緩めない。
おむすびは女の子なので、キラキラ揺れるネックレスが気になって仕方ないようです
おむすび編 47に続きます
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