時々見かけるおむすびはとても人懐っこい猫のようでした。
「えびね」こと私がそれまで抱いていた猫のイメージは、”すぐ逃げる” ”目をそらす”。
おむすびを見ていると、猫のイメージがだんだん変わっていきました。
猫は逃げるものと思っていたけれど
ノラ猫おむすびはとても人懐っこい猫だ。
(前回お話したノラ猫を、のちのち私は「おむすび」と名づけた)
(前回お話したノラ猫を、のちのち私は「おむすび」と名づけた)
見かけるたび、誰かに話しかけらたり、撫でられたりしていた。おむすびは人見知りする様子が全くなく、いつもフレンドリーに人の相手をしていた。
でも警戒心がないのって猫としてどうなの?と私は心密かに思ったものだ。
世の中、猫にひどいことをする人はゼロではない。ラッキーなことに、うちの近所でひどい人はいなかったようだから良かったけれど。
世の中、猫にひどいことをする人はゼロではない。ラッキーなことに、うちの近所でひどい人はいなかったようだから良かったけれど。
ただ不思議だったのは、飼い主に捨てられたにもかかわらず、人間不信どころか、どうして人が大好きなのか?ということだった。
大胆不敵に登る猫
休日家を出て駅へ向かう途中、Kさん宅の前で和やかな声がしていた。
近づいてみると、どこかの奥さんが「あらっ、登っちゃったわね」なんて言っている。
近づいてみると、どこかの奥さんが「あらっ、登っちゃったわね」なんて言っている。
何々?何が登ったって?と、近づいて見ると、女性の視線の先にうちのお向かいの息子さんがしゃがんでいて、その肩にはなんとおむすびが乗っていた。
肩に乗って得意げに鳴いているじゃないか。
そして肩に乗られた息子さんは少し困り顔。
なかなかおむすびが降りようとしないので、動くに動けない。降ろそうとしてそっと体を傾けてみるものの、おむすびは器用に狭い肩の上でバランスをとり、次の足場を確保してしまう。
見ているこっちは自然に笑みがこぼれた。
猫を飼える?それぞれの家庭事情
うちの庭では、夫の三太が芝生を植え、その隣の一畳ほどのスペースで私が家庭菜園をしている。
私は誰からも「美味しいそうなトマトがなってますね」などという賛辞の言葉をいただいたことがないが、三太は芝生の手入れ中によく「芝生きれいですね」と声をかけられるらしい。
私は誰からも「美味しいそうなトマトがなってますね」などという賛辞の言葉をいただいたことがないが、三太は芝生の手入れ中によく「芝生きれいですね」と声をかけられるらしい。
その日の夜、おむすびがお向かいの息子さんの肩に乗っていた話をして「だけど、どうしてKさんはあの猫(おむすび)を家に入れてあげないのかな?」と言うと、
「えびねに話したことなかったっけ? Kさんの家は犬を飼ってるから猫は飼えないらしいよ」と三太は言う。
私と同じくらい社交性はないが、近所の人からよく話しかけられるだけあって、この辺りの話は私より詳しい三太なのであった。
とにかくあんなに愛嬌のある猫なのだ。たとえKさんに飼ってもらえなくても、いつか別の誰かがおむすびを家に入れてあげるかもしれない。
私はなんの根拠もなく、能天気にそんなことを考えていたのであった。
私はなんの根拠もなく、能天気にそんなことを考えていたのであった。
アスファルトの上で寝そべるおむすび
おむすび編3に続きます
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