ゆったり流れる時間を大切にしたい
今日は、お題の「仕事の思い出」について書いてみます。
新しい仕事をするのが嬉しかったあの頃
アラサーの頃の私が人事部から事業企画室へ異動した時、上司も同じタイミングでUKの現地法人から企画室へ異動してきた。
いかにもエリートっぽいアラフォー男性で、めちゃくちゃ張り切っていた。
その上司は、私に「あなたには、どこに出ても通用するビジネスパーソンになってもらう」と豪語した。
若かった私は、なんとか頑張ってみよう、と思った。
私の能力は事務屋レベルだったので、まずはお偉いさんの秘書をしながら、事業計画の資料作りや役職会議の議事録作成などから始めた。
上司の要求は私にとって大きすぎた
ほどなくしてその上司から、ビジネス本を読んで経営の基本を学ぶように言われ、電車の中や休日に本を読み勉強した。
これが終わったら次は英語ね、と言われた。私の英語力は海外旅行で英単語を並べる程度だったからだ。
私の残業時間は月45時間を超え、休日に呼び出されて急遽出勤し、そのたびにそれを人事から警告された。
いつからか、疲れと精神的ストレスで蕁麻疹が出るようになった。
私は、自分にとって一番大切なものは何なのか、と考えるようになった。
私が本当にやりたいことってなんだ?
それが、休日を削って会議で戦略を練ったりすることではない、というのは確かだった。
私はそのちょっとしたスパルタ上司に、役職会議の議事録作成をやめたい、そして休日はプライベートを大切にしたい、と申し入れた。
上司は受け入れなかった。
決定的な上司の台詞
その日も夜遅くまで残業して、その上司と経理部長と3人で中華店で食事をした。
その帰り、電車の中でなんの話の流れか忘れたが、上司が私に向かって「私はあなたの骨の髄までしゃぶり尽くすからね」と言った。
私の背中は凍りついた。思わず経理部長の後ろに隠れた。
酔っていたとは言え、恐ろしすぎた。
心の底から怯えた私は、スパルタ上司の上長であり私を秘書にしていた事業部長に直訴して、身の丈に合わない仕事をはずしてもらった。
このままではうつ病になってしまうかも、と危惧していたのだが、意外なことにスパルタ上司が先にうつ病になり、ある日ぱったりと出勤してこなくなった。
恐ろしい(顔もコワい)事業部長に常時ガミガミ言われ続けた末、満足な結果を出せなかったから、という噂だった。
この経験から私が学んだのは、身の危険を感じたら耐え続けず、逃げられるなら逃げる、ということだ。
自分の能力と体力、承認欲求、そして一番大切なもののバランスをうまくとってやっていくのは、とても難しい。
だから迷ったら、自分の心と体を守ることを第一優先にする。自分が崩れてしまったら、大切なものも守れなくなるから。
猫のちょっかい
おむすびは温和な猫なので、お仕えする私のお尻をビシバシ叩くことはないが、とにかくちょっかいがすごい。
首の上で寝るのはやめてほしい
おむすび編61に続きます
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