猫には、暖かい部屋で食べるものに困ることなく幸せに暮らしてほしい。
だから過酷な野外で暮らす猫は、これ以上増えてほしくない。
駐車場の猫と伊勢の猫
先日会社へ向かう途中、駐車場で猫を見かけた。クリーム色の華奢な猫でメスのようだった。
よくよく見るとちょっとお腹がふくらんでいるように見えたので、もしかしたら妊娠していたのかもしれない。
あの猫がこれから仔猫を産むとしても、産まれるのはだいぶ暖かくなってきた頃だろう。
それだけでも良かった、と思った。
去っていく猫を見送りながら思い出したのが、伊勢神宮のおはらい町通りにいた猫のことだ。
痩せて、体格も小さかった。
伊勢で出会った猫
人懐っこくて、初めて会った私たちにすりすりした。忘れられない。
雪の日の猫
おむすびを家族にした翌年の冬の日の朝に、うっすら積もった雪の上をノラ猫が歩いているのを見たことがある。
その猫は、うちの玄関に住み着いたおむすびをいつも威嚇し、敷地から追い出そうとしていた。
おむすび寄りの私にとって、その猫は憎たらしい猫ではあったが、いつからかその猫に罪はないのだと思うようになった。
あの猫だって、ノラ猫じゃなくイエ猫に生まれていれば、可愛らしく甘える猫になっていただろう。
雪の上を歩くその猫は毅然としていたけれど、それを目で追う自分の心は、どこか物悲しく乱れていたのを覚えている。
カラスと戦う猫
最寄り駅の近くに緑豊かなスペースがあって、そこにはたくさんのノラ猫たちが暮らしていた。
今はボランティアさんの苦労が報われて、耳カットされた猫が少しいるだけだが、当時は10匹近くいた。
その中に、ちょっとおデブで目立つキジ白猫がいた。
夕方ボランティアさんがその猫にエサを与える姿をよく見かけたが、そのボランティアさんが大好きなようで後をついて歩いていた。
それを見ると、ちょっと切なかった。
その猫が小さいカラスを仕留めているのを見たことがある。
大きいカラスは、仔猫を食べる。
その猫もカラスも命がけで闘ったのだろう。
そのおデブ猫がひとまわり小さくなったように見えたことがあって、それきり姿を見ることはなくなった。
恐らく体が弱って、痩せ始めていたんだろう。
今でも、そこを通ると時々その猫を思い出す。
おむすび
おむすびが生まれた時期は推定するしかないのだが、おおまかではあるが私の母が亡くなった頃に重なる。
もしかしたら、天国の母が生まれ出る前のおむすびに「私の娘のところに行きなさい」と言ったのが、どういう手違いか別の人に飼われて捨てられ、最終的に私のところにたどり着いたのかも、なんて想像することがある。
きちんと私のところに送り込んでくれれば、おむすびの空白の6年間を一緒に過ごすことができたのに。
3年もノラで苦労せずにすんだのに。
時間は無限ではない。
幸せだと思える時間はとても貴重だ。
春と猫と幸せと
春が来て花々が一斉に咲き乱れても、ひんやりする日にはまだまだコタツが恋しい。
もぐってウトウトして、ぼんやり夢らしきものを見ていると、腕にそっと小さな頭が乗っかるを感じる。
健気に力強く生きてきたおむすびの頭。
そっと撫でて、また一緒に眠りにつく。
春は眠い。
そしてちょっと哀しい。
おむすび編63に続きます
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