猫とビー玉

猫に振り回される幸せとドタバタ日常。自作のヘタ漫画をまじえて綴っていきます

亡くなった父の夢

木の下に立つ親子

 
父があと余命わずかだと知ったのは、7月のある日のことだった。
姉からの電話で、父が末期のがんであることを告げられた。

 

  頑固な雷おやじ

 
父は一昔前の頑固一徹な人だった。酒もタバコものまない、賭け事なんてもってのほか、借金なんてしたら身を亡ぼす、買い物は車を買う時だって現金だ、などなど。
そして私たち姉妹には、門限を厳しく取り締まり、見るテレビをNHKだけに制限したり、友達からこっそり借りた漫画を破って捨てたりするなど、子供から言わせれば情け容赦のない厳しすぎる親であった。
一家の頂点に君臨する父の機嫌がよければ家の中は明るく、悪ければ牢獄のように窮屈で暗かった。父の機嫌が悪い日の食卓を、今でもまざまざと思い出す。ごはんの味などしなかった。そのたび、こんな家出ていきたいと切実に思ったものだ。

が、子供を親の支配下にがっちり置く一方で、意外にリベラルな考え方をする人で、誰もが平等であるべきと考えていた側面もあった。新聞やテレビから流れるニュースについて父が意見する時、それがうかがい知れた。
海外で事故や事件があると、日本のマスコミは真っ先に日本人被害者の有無について報道するが、それを聞くたびに父は「日本人さえ無事ならいいってもんじゃない」とよく憤っていた。
私はそれに違和感があったのでよく覚えている。(私はその種の報道は、現地にいる彼なり彼女なりの家族、つまり日本で気をもんでいる家族に安否を確認してもらう為のものだと思っていたからだ。)
今となっては推測にすぎないが、父はどの国で起こることも、自分の国のことじゃないからと無関心にならず、真摯に考えるべきだと考えていたのだと思う。
 
父がいつも100%、国や民族、性別、社会的地位、学歴等々に捉われず、公正な目でものを見ていたとは全く思わない。
だが、実直でクリーンだったことは知っている。私に「自分さえ良ければいいと思うな」「自分が嫌だと思うことは相手も嫌なんだからやめろ」「弱者をいじめるな」といったことを教えたのは父だ。父が教えたこれらの言葉は今でも私の中で生きている。
 
父は病院の医師とケンカしながら、余命宣告より長く生きた。医師は父の死後、「まさかここまで頑張るとは思っていなかった。相当しんどかったはずです」ともらしていた。医者を驚かせるくらい気骨と根性のある人だった。
 
そんな父が最後まで心配していたのは、この私の行く末だった。
 

 

 

父と私


当時の私は30代半ばで独身だった。
父が入院してからというもの、私は朝の4時半に起き、フレックスで7時前に出社して3時半に会社を飛び出し、父の入院する病院に1時間半かけて通った。が、見舞いに行って父から聞かされる言葉はいつも、早く結婚しろ、だった。
そしてそのうち、その説教が「なんで見舞いに来るのが遅いんだ?!」となり、「そんなに会社が大切か?」「会社を辞めろ」となった。
「会社を辞めたら私はどうやって生活していけばいいの?」と言うと「うちに戻ればいい」という。当時私は一人暮らしをしていたのだ。
うちは金持ちでは全くなかった。吹けば飛ぶようなボロ家だったし、財産もない。実家に帰っても生活の保障はないのだ。父が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
 
当時の私にはつき合い始めた人がいた。今の夫である。彼とつき合い始める前に、飲み会で同僚に「どうして結婚しないの?」と聞かれて「オレは結婚しないんだ」と答えていたのを小耳にはさんだことがあったので、結婚の可能性はゼロだと承知してつき合い始めた。
承知の上で決めたことだったが、いつかこの人と別れる日が来るんだ、と考えることはとても辛かった。そのたび、つき合わないという選択肢もあったのに、それを選ばなかったのは自分なのだと言い聞かせていた。
 

夕陽を見つめる猫

 
もしも、つき合っている人はいるけど結婚はしないんだなどと父に言えば、「なんなんだそれは!そいつを連れてこい」「とっとと別れろ」と言われるのは目に見えていたから、彼のことは黙っていた。
姉には「口先だけでも、いつか結婚するつもりだとかなんとか言っておけばいいじゃないの」と言われたが、言えなかった。

死期の迫った父には、すべてを見透かされているような気がしていたのだ。うまく説明できなかったが、確かにそんな気がしたのだ。
 
見舞いに行けば説教され、口答えして嫌なムードになり、を繰り返し、父と私の間には気まずい微妙な空気が流れるようになった。そしてその関係を修復することなく、父は亡くなってしまった。
 
父には病名を告知していなかった。父の死後、姉が、え?と思うような話をした。
「お父さんね、死んじゃう前に、”来月にはこの病院を出るから”って言ってたんだよ」
「出るって?」私は聞き返した。
「は?って思うよね。だから私、”ここ出たら今度どこ行くの?”って聞いたわけ。でも笑って答えなかった」
「自分が死ぬ時期がわかってたってこと?」
「そうなのかな、って今になって思うんだ」
自分の命があとどれくらいなのか、父にはわかっていたのか。だから私をうんざりさせるくらい説教したのだ。
 
私はその後、ずっと悔やみ続けた。
父の考える幸せと私の考える幸せは明らかに食い違っていたが、父が私の幸せを願っていたという事は間違いない。姉の言うとおり、口先だけでもうまく取り繕って、父を安心させればよかった。なのに、自分はバカで不器用だからできなかった。
最後の最後にできてしまった父との距離は、ずっと私に重くのしかかっていた。
 

父の夢

 
死んでしまった人に執着があればあるほど、その人は夢に現れないという。父も私の夢に全く現れなかった。
 
彼との結婚を決めたのは、父の葬式を出してから数ヶ月後だった(彼が結婚しない主義を変えた理由はきちんと確認した)。二人で父のお墓に参って結婚することを報告し、母の暮らす実家の往復や会社の仕事に追われ、慌ただしい師走が終わろうとしていた。
 

そして大晦日の朝、父がやっと夢に現れた。
夢の中で、私はタクシーで実家に帰ったところだった。タクシーから降りようと外を見ると、うちの門から車やトラックや大勢の人たちが出てきた。その先頭に父がいた。私はこれっきり会えないのがわかってタクシーから飛び出し、「お父さん!」と叫んで駆け寄った。
父は私を見て手を差し出した。私は父に抱きつき、「お父さん!お父さん!」と言いながら泣いた。そこで目が覚めた。
 

黄色いチューリップ


その1ヶ月後、また父が夢に現れた。
実家で父が庭仕事をしている。季節は春のようで、庭は優しい日差しに包まれ、一面の色とりどりに咲いた花がとても綺麗だった。
「そんなに根をつめたら体に悪いよ」と父に言うと、「焦ってもしょうがないな」という父らしい言葉が返ってきた。夢の中で ”もうすぐこの夢が終わってしまう” とわかったので、急いで父に「今度結婚するよ、育ててくれてありがとね」と言ったところで目が覚めた。

私は、
後悔を夢で埋め合わせるという消極的な方法で、自分の気持ちに片をつけようとしたのかもしれない。
 
 
父がこのあと、どんな言葉を返したのかはわからずじまいだ。
それでも、とても幸せな夢だった。
父の夢で、ひとつ、私は背負っていた重荷を下ろすことができた。