アドバイスをするのが好きな人はどこにでもいる。
私はなるべく求められない限り、アドバイスめいたことは言わないようにしている。なぜってこの自分が、要らないアドバイスをされるのを苦痛に感じるからである。
私はなるべく求められない限り、アドバイスめいたことは言わないようにしている。なぜってこの自分が、要らないアドバイスをされるのを苦痛に感じるからである。
不要なアドバイスにはふたつある。
アドバイスが欲しいのではなく愚痴を聞いてほしいだけ
ひとつめは、ただ愚痴を聞いてほしいだけなのに、アドバイスされてしまうケース。
女性が愚痴をこぼしたらダンナさまに「それはこうするべきなんじゃない?」などと言われて興ざめてしらけてしまう、というよくあるケースだ。
男性は、なにかアドバイスしなければという気持ちになるようだが、女性の目的はおおかたストレス発散である事が多い。
女性が求めているのはアドバイスではなく、肯定と共感なのである。
女性が求めているのはアドバイスではなく、肯定と共感なのである。
例えば私がいやな目に遭って、その話を聞いてもらおうと女友達に「この前こんなことがあってさ」と話し始めたとする。
女同士の会話はこんな風に進んでいくのが望ましい(というか実際こんな風に進んでいく)。
女同士の会話はこんな風に進んでいくのが望ましい(というか実際こんな風に進んでいく)。
まず「えー?何それ!(困惑)」と、”その話もっと聞かせろ”と誘導し、
「ちょっと!それってひどくない?(驚愕)」と、会話を盛り上げる絶妙な合いの手を入れ、
「あり得ないんだけど!(憤怒)」と、ストレスというくすぶる薪に火をつけ、
「サイテーじゃん!(激怒)」と、その火に油を盛大にそそぎ、
「ばっかじゃないの(あきれ返る)」と、大うちわでわっさわっさと風を送って火を煽り、
「・・・!(遂には絶句)」と、ストレス発散のはしごを登る私のおしりをぐいぐいと下から押し上げる。
こうしてひとしきり盛り上がり、場が落ち着いたころには、友人たちからの肯定と共感によって満たされ、胸につかえていたストレスは消えて、すっきり爽やかな気分になっている。
夫にはこんな絶妙な合いの手を要求はしないが、やはりどうしても聞いてほしい時はある。
そんな時のために「アドバイスがほしい時は必ずどうしたらいいと思う?って聞くから。それ以外の時は話を聞いてくれるだけでいい」とあらかじめ伝えている。
そんな時のために「アドバイスがほしい時は必ずどうしたらいいと思う?って聞くから。それ以外の時は話を聞いてくれるだけでいい」とあらかじめ伝えている。
聞かなくても、もともとわかっている
ふたつめは職場でよくあるのだが、聞いてもいないのに、「それはね・・・」などと言われるケースである。
今まさに宿題をやろうと思っていたのに、親に「宿題やりなさい!」と言われて「今やろうと思ってたのに!もうやりたかないわッ。」となったことがないだろうか?私はある。
これとちょっと似てないだろうか?
これとちょっと似てないだろうか?
わかっているのだ。やらなくちゃいけないことは百も承知している。
それをなぜ、わざわざ言ってくるわけ?子供に対する信頼ってもんがないのかい!という心情だ。
職場でされる要らないアドバイスというのも、もうわかっていることをわざわざ言われることが多い。
アドバイスする側は、おそらく親切心で言っているんだろうから、無下に「わかってますよ」とは言い返せない。
アドバイスする側は、おそらく親切心で言っているんだろうから、無下に「わかってますよ」とは言い返せない。
そういう状況では「そうですよね~」と軽く返すことにしているのだが、これがあまり好ましくない人物からの前触れなしの突撃アドバイスだったりすると、もう言葉につまってしどろもどろな返事になるという事態になりかねない。
私は日頃、好ましくない相手とはさらっと短時間で会話を終わらせるために、言葉は最小限にとどめるようにしている。
普通の会話はもちろん、突撃アドバイスの場合も最短で会話を終わらせるに越したことはないので、無言でうなずいてみせて(一応)肯定の意を表して、完了させる。
無愛想はNGなので、少しだけにっこりできたらなお良しとしているが、この時笑顔はゆるやかに真顔に戻すことを忘れてはならない。
笑顔から瞬時に真顔に戻る人はすごくこわい。この人信用できない、と思ってしまう。
求められてアドバイスをする時、気をつけること
求められないアドバイスについて書いてみたが、求められてするアドバイスもまた、気を遣うし難しい。
相手が後輩であろうと、自分より覚えが悪い人であろうと、その人をひとりの人として尊重する気持ちを忘れないようにしていたい。
だからこそ、常に謙虚な気持ちは持っていたいものだ。