なんだか嫌な予感が
大晦日にキャッツを観にいった。
映画ではなく(映画の公開はこれからだ)、劇団四季のキャッツだ。
でも、心から楽しむことができなかった。
それはなぜかと言うと・・・。
会場に着いて、チケット片手に自分の席を見つけた時、左隣の席に大きな荷物が置いてあるのが目に入った。
その時、なぜかいやな予感がした。
しばらくすると、年配の女性がその席に戻ってきた。ひとりで来ているようだ。
予感的中
幕が開いて数分で、隣の女性は寝始めた。
眠っているだけなら構わない。いくらでもどうぞ。
だけど、その女性は私に大胆に寄りかかってきたのだ。
普通に座っていると、その女性の上半身を私が支えなければならなくなるので、私の体は右隣に座っている夫の方に傾く。
大音量の音楽が鳴りやみ、拍手が起こると、その女性はパッと起きて力強く拍手する。
そして数分もすると、また眠ってこちらに寄りかかってくる。
軽く押してみた
私があんまり夫にぴったりくっつくので、夫は見かねてその女性を軽く押してくれた。
もっと強く押してくれてもいいんだけど。あ、自分で押せばいいんだよね。
女性は夫に押されて一時的に起きたが、またすぐ寝た。
一体なんのためにここに来ているの?
そのあとは、起きて拍手、寝る、起きて拍手、寝るを繰り返した。
最初から最後まで、9割は寝ていたと思われる。
そして私も、上演時間2時間40分の9割を、右に大きく傾いて過ごした。うううっ。
どんな事情があって寝不足なのかはわからない。
でも、どんな理由があるにせよ、公共の場で、他人が高いお金を払って楽しもうとしているひとときに、水をさすのはどうなの?
キャッツは何と言っても
我が家は特にミュージカル、あるいは劇団四季ファンというわけではないのだが、ミュージカルを観にいくのが年末の恒例になっている。
キャッツは今回で3回めか4回め(数えてない)。
なので観ていて、次に何が出てくるのか、なんとなくぼんやりわかってしまう。
それでも行くのは、やはり「メモリー」が聴きたいからだ。
舞台の中盤に、若々しいメス猫が高い透明な声でメモリーを歌う。
そして終盤で仲間から虐げられ、疲れ果てた年老いたメス猫が2度目のメモリーを歌う。
先の若い猫の声とは対照的に、低く哀愁に満ちた声だ。
そこに滲む孤独と切実さに、いつも涙を抑えられない。
その大好きなメモリーを今回は、右に傾きながら聴いた。とほほ。
幕が下りて帰り支度をしていたら、その左隣の女性が私の背中に手をおいて、「ごめんねー」と言った。
最後に謝られても、私の気持ちはすっきりしなかった。
ちょっとだけ手をあげて、そそくさとその場を立ち去った。
ニッコリできるほど、私は寛大ではない。
家に帰って、ガキの使いを見るころにはすっかりこのことを忘れたが、先週スターウォーズを観に行き、映画館で指定席をさがしていた時、この件がちょっとしたトラウマのように蘇ったのだった。
ちなみにコチラがうちのcat。
野良出身です。
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